健常者である佐多がなぜこういった活動を行うのか。思い返せば徳之島での子ども時代にその心は培われたのかもしれません。近所の、現在でいう発達障がいの友達との毎日の登下校。また実の叔母は、足に障がいがあったが手先が器用で、作る料理は美味しかった。家族は彼女の料理で育ち、家事を助けてもらっていたのです。現在ならば、施設に入り共には暮らせなかったかもしれない障がいを持つ人たちとの生活が、佐多にはあまりにも自然で普通のことであったのです。

 そんな毎日の方がお互い様で良いだろうと、むずかしい理念などは抜きに、周りの協力者とワイワイと活動を楽しんでいるうちにここまで進んできました。助ける、という感覚ではなく、共に生きる。そして自分もそこからエネルギーを確かにもらっていると感じています。

 徳之島には『福子(ふーぐぁー)伝説』と呼ばれる言い伝えがあります。「福子=障がいのある子どもが生まれた家は栄える」というものです。そういう子どもが生まれると、その子が一生困らないように家族が団結し、子どもに優しく接しながら仕事に精を出すために、結果として家が繁栄するというなるほど理にかなった言い伝えです。

 「障がい」とは何なのでしょう。身体の、精神の、確かにそれぞれの違いはあります。けれど健常者と呼ばれる「普通の人々」も、年老いていけば他人の助けなしには生きられなくなるのであり、佐多は「全員年寄ったら障がい者だわ」と笑います。程度は違うが、皆が持つ弱いところ・困りごとを身近で実感し、共に過ごすことで、人は自然に助けたり助けられたりして人生を歩んでいくのではないでしょうか。そういった人生の集大成である社会であれば、どれほど強く、美しい社会が実現できるのか。そしてそれはそれほど大それたことではなく、日々のちょっとした行動から始められることでもあるのです。

 福子伝説には、人智を越えた力を持つ神様や、不思議な奇跡は登場しません。そこには「ひと」がいて、まわりの「ひと」に助け・助けられながら、それぞれが心ゆたかに暮らしていく姿を、わたしたちに指し示してくれているのです。

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